2015/01/16

落語とジーパン





こんにちは


昨日とは打って変わって


今日は晴れて穏やかな気候です。








明日、明後日はセンター試験


例年荒天となる地域が有りますので


お気を付け下さい。


本日1月16日は


”禁酒の日”






小学生、中学生の頃はテレビドラマの主人公が着ている


洋服に憧れ


高校生の頃はファッション誌を見たりしてましたが


やがてハタチ位になると


洋画の世界に憧れを抱くようになり


禁酒法時代のアメリカのカッコ良さにヤラレテおりました。


Godfather




Once Upon A Time In America


に憧れ


大学1年の頃からジャケットを着ているようなヤツだったので


とてもハタチには見られませんでした。


その後もアメリカ映画の影響でしょうね


何の映画か忘れましたが


ぼろいジーパンにエンジニアブーツを履いている


チョイ役の人が妙にカッコよく見えて


これだ!


と思い、かれこれ30年近く


同じようなカッコしております。


何なんでしょうね?


この変わらなさ


基本的に興味の無い人が見れば


同じようなカッコです。


しかしながら


同じようでいて同じではないのです。


ここが非常に重要な所です。


同じようで同じじゃない


大事な所なので2度書きました。




例えば


怒られるかも知れませんが


落語の ”芝浜” 


大勢の落語家が噺ますが


噺家によって味わいが違っていたり


同じ噺家が噺ても回により微妙に違っていたり


聴く方もオチまで分かっているのに


聴いてしまう


普通に考えてオチまで分かっている話なんて興味ないですよね?


それなのに尚じっくり聴いてしまう。


これは話芸、芸術の世界ですが


ちょっと近いものが有るかな?


と感じます。


同じようなものを何度も作り何度も着る


けど同じじゃないんです。


カジュアルスタイルに完成形があれば別ですけど


完成形は無いのです。


だから飽くなき追求が続くのです。


毎回毎回最高のものを提案していこうと思っています。


思えば思うほど満足出来なくなります。


ここに矛盾が出てしまいます


追求するものは ”普遍的なカッコ良さ”


であるのに


さらにまた探求心が芽生えてくる


果ての無いスパイラルです


しかしながらこの探求心があるからこそ


続くのであり


探求心=情熱 


が無くなったら


その時が辞める時だと思っています。


自分がやっていることは芸術ではないので


落語と一緒にされて気分が悪い方もいらっしゃるかもしれませんが


こんな思いでやっております。


本日も長い駄文にお付き合い頂き


有難う御座います。


気が付けば金曜日


本日も20時位まで


皆様のお越しをお待ちしております。


素敵な金曜日をお過ごし下さい!!